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デリー

南アジアを代表する世界都市の1つ、インドの首都であるデリーの紹介。デリーの歴史、地理、気候、行政、経済、交通機関、観光地などを簡単にまとめています。

   

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デリーの住民

2011年のインドのセンサスによれば、デリーの人口は16,753,235人である。人口密度は1㎞2あたり11,297人で、男女比は男性1000人に対し女性866人、識字率は86.34%である。2004年には、出生率は20.03、死亡率は5.59、乳児死亡率は13.08であった[18]。デリーは世界で最も急速に人口の増加している都市の一つであり、2015年までに東京とムンバイに次いで世界で3番目に大きな大都市圏となる見込みである[19]。 デリーで最も信者の多い宗教はヒンドゥー教であり、デリー人口の82%を占める。次いで多いのがイスラム教の11.7%であり、次いでシク教(4%)、ジャイナ教(1.1%)、キリスト教(0.94%)、バハーイー教(0.1%)と続く[20][21]。このほか、仏教やユダヤ教、ゾロアスター教の小規模なコミュニティも存在する[22]。デリーで最も主な言語はヒンドゥスターニー語であり[23]、なかでもヒンディー語のデヴァーナガリ文字が最も多く筆記に使用される[24] 。このほか、ウルドゥー語やパンジャービー語の話者も多く、この2言語はデリーで2番目に話者の多い言語となっている[25]。かつてはデリーはインドのムスリム支配の中心地であり、上層のムスリムが使用していたウルドゥー語が強い力を持っていたが、インドとパキスタンの分離独立時に上層ムスリムのかなりが流出し、さらにシクおよびヒンドゥーとイスラムの間で州が分裂してしまったパンジャーブで、イスラム側となった州西部から逃れてきたヒンドゥーおよびシク教徒のパンジャーブ人が大量に流入したため、パンジャービー語やシク教徒の割合が増加する一方でウルドゥー語の影響力は弱まった。1931年にはデリー住民のうちヒンドゥー教徒が63%、ムスリムが33%、シク教徒が1%を占めるのみだったのが、1981年にはヒンドゥーが84%、ムスリムが8%、シク教徒が6%となっていた[26]。

参照元:ウィキペディア「デリー
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